2012年05月03日

例のやつのアラスジ紹介など

2012年の3月、

私、朱時卍時は晴れて

某大学芸術学部放送学科((笑))を卒業することができました。

その際、

学部奨励賞という賞をいただいたのですが、

どうにも、簡略に説明すると

その年度年度でエキセントリックな作品制作をした人に
(良く言うと斬新な作品をつくった人に)

「うわ、ヒドイ作品! いいぞもっとやれ!」
(前衛的だね! 頑張って!)

というテンションで与えられる賞らしいのです。

せっかく貰ったので、

このブログで紹介しないのもなんだなぁと思って

本日遅ればせながら記事として書いてみました。

全文掲載するのは量があって大変なので、

アラスジを読んで興味のある方は連絡ください。

即日、データで転送いたします!!


ってなわけで以下アラスジです。




卒業制作脚本

「塔よ、そびえ立て!」





《あらすじ》




東京の出版社勤務でEDの主人公、秋田尭律(26)はある日、フクシマ行きの取材を上司に命じられる。激しいデモで死傷者が出ている報道などがあったことから、気乗りしない秋田だったが、しぶしぶフクシマへ行くことになる。



しかし、到着したフクシマで秋田は奇怪な歌声に導かれ、原発事故で地図の上から消されたはずのナミエ村へ迷い込んでしまう。そこで秋田は村のあちこちにいる奇妙な住人達に翻弄されていく。落ち武者や三番叟、奇怪な姿の住人で溢れるナミエ村、気が触れた人間が収容されたヒトヤ村の間を彷徨う内に、秋田はヒトヤ村で奇怪な歌を歌いながらオムライスをつくっている老人に出会う。老人の言動と歌声に、秋田の記憶が断片的に蘇る。老人は秋田の実の父親で、幼少期に秋田をアナルファックしていたのだった。 



自身の記憶に吐き気を催す秋田に殺してくれと訴える父親。気味が悪くなった秋田は逃走するが、「殺してくれ」というフレーズから、自分が父親を「ひざかっくん」によって殺害していたという衝撃的な過去を思い出す。ありえない記憶に茫然としていると、そこに眼球を咥えたカラスがやってくる。眼球をきっかけにして秋田は別の記憶、父親殺害の真相を思い出す。父親は秋田をアナルファックした罪悪感から「殺してくれ」と自ら頼みこみ、息子から殺害されることで自身の贖罪、息子への罪の転嫁を謀ったのだった。秋田は蘇った記憶の氾濫によって混乱し、ナミエ村、ヒトヤ村が何のためにある場所なのか、を問いながら村の間を彷徨う。やがて現れたカラスの啓示を受け、ナミエ村は恨みを深層で抱えている者達、ヒトヤ村は人知れない恨みによって呪われている者達の閉じ込められた村であることに気づく。そのことを悟った秋田は、父親を含めたあらゆる村の者達を「赦す」ことで村人、ひいては自分も抱えた業からの脱却を図る。



「赦し」た瞬間、秋田はフクシマ国ニューナミエ・タウンに戻り、EDが回復。


 

 世界は新しく前に進むため、生まれ変わっていた。




ちなみに75分もの(笑)

映像化、舞台化したいって人是非、連絡お待ちしています!
posted by 朱時卍時 at 11:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

『19歳』補足

めずらしく、

アンニュイなものを書いたと思います。

でも、今日の曇天を見ていたら

書かざるを得ないような気がして、

気が付いたら書いていました。



性の悩みを中心に回想して書き連ねながら

私はある人に、お前は人間が描けていない

人間の業が描けていないといわれたのを

思い出していました。


19歳以前、

私の多くの『友達』や『周りの人間』は、

私にとって無機質でした。

注釈するなら、

愛想笑いと気まずい笑みを浮かべ

時に暴力的な無機質でした。

小学校時代は引っ越しするたびにイジメられ、

中学高校は一所でイジメられ、

イジメられることは慣れていたから別によかったのです。

けれど、イジメを受けるたび、

友人と思っていた人間に
裏切られるのは耐えられませんでした。

彼らは傍観し、
無機質なまなざしを以て私を貫きました。

イジメをしている人間は人間で、

おしゃべり人形のように、
ワンパターンなつまらないセリフを吐きながら
無機質的に暴力をふるっていました。

慣れている、といってもイジメられているとき、

イジメを行っている人間や、
それを傍観している人間を気遣う余裕なんてありませんでした。

耐え抜いて、反撃するので精いっぱいでした。

人間を描くとき、
自分や自分に親身になってくれた人間以外の人間を描くとき、

やや無機質になってしまうのは

そういった体験に原因があるのかもしれません。

私が人間を観ることができるようになったのは、
観ようと思い始めたのは

19歳以後のこと。

大学に入って、バイトをはじめて、
裏切られても構わないから
信じたい友人がたくさんできたのです。

だからまだまだ、これからです。

でも、これから、グッと伸びる予定なので、
朱時卍時の人間描写には
これから是非注目していただきたいところです。


あと、あんな内容で書いてしまったけれど、

私自身は自分を特にGIDだとかは思っていなかったりします。

自分をGIDだと思い込んで

おかしなことになってしまった人もたくさん見ました。

だから、
そうなりたくないので、

自分で自分は規定しません。
医者や他人が診て判断すればいいことだと思っています。

ある面では自分なんて
類比的なものでしかないのですから(ω)



補足おわり☆
posted by 朱時卍時 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 女装 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

19歳

寺山修司の詩『19歳』になぞらえて、

自分の人生をふりかえってみようと思う。

ちょっとした告白。

そう、これは朱時卍時の『19歳』


5歳の時、わたしは好きな人にキスすることを知った。
父親の唇を奪おうとして、叱られた。

10歳の時、わたしは自分が男の子であることを知った。
納得いかずに、女装を始めた。

15歳の時、わたしは自分を探しにでかけた。
行き先が運悪く、迫害を受けることになった。

17歳の時、わたしの中で狂気が光った。
男でいるくらいなら死んでやろうか。
だが、先に死んだ友人がいたのでやめた。

19歳の時、わたしはホルモンを摂取し始めた。
オーバードーズに陥って、死にかけて、
たしなむ程度に留めることにした。

わたしはいま、適度に女装し、自分を納得させている。
社会との折り合いはせいぜいこんなもんなのだろうと、
ある種諦めてもいる。

だが、

それはわたしが求めた結果ではない。
周りがわたしに求めた結果に過ぎない。

いや、わたしはそう思うことにして、
やはり自分を納得させているだけだろう。

自分をさがしたところで、
自分なんてものはないだろうが、

見つからないだろうし、
それはスカイフィッシュの死骸みたいなものだろうし、

けれど、
わたしが何者であるかという旅の答えは
いまも
どこか

遠くの星の間を駆け巡っているような気がしてならない。

それがそうであると思い込みたいだけなのか否か、
私自身もよくわからない。

ただ、時折そのことを考えるたび、

ひどく胸が詰まるような思いをするだけだ。
posted by 朱時卍時 at 13:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 告白 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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