2010年06月05日

天空の老人

「天空の老人」
朱時卍時 

 終の棲家。そういった場所を、人は誰しも求めるものなのだろうか。また、求めなければならないものなのだろうか。少なくとも、最後に自分を受け入れてくれる居場所、安らぎを与えてくれる場所を佐久間藤吉は探していた。
 最近、祖父藤吉の様子がおかしい。初めに気がついたのは孫の雄治だった。
 もう梅雨明けかという時分、その日の東京の天気は荒れていた。突き刺すような日差しが出たかと思えば、黒雲に覆われ突風が吹きすさぶ。庭の木々は揺れ、蝉も鳴くのを止めた。風のうねる音だけがガラス戸越しに伝わってくる。そんな自然の声を聞きながら、藤吉はカタツムリを見つめていた。ガラスの向こう、サッシの辺りにそのカタツムリはいた。体長は5センチほどだろうか、かなり大きなカタツムリだった。海外からやって来た大型の食用カタツムリが都市部で発生しているなんてニュースを昼間テレビでやっていたのを雄治は思い出した。
 巨大なカタツムリが窓のサッシにいるだけでも異様なのに、それ以上に異様なのは籐吉の姿だった。首をゆっくりと傾げては、舌をカタツムリに向けて伸ばす。ガラス戸に舌先が当たると引っ込めて、再び首を傾げる。しゃがみながら、そんなことを何度となく繰り返す籐吉の眼はキラキラと輝いていた。
 偶然にその光景を雄治は見てしまったのだ。以来、窓外に向かって何かを呟くようになった籐吉の姿を見るたび、そのことを思い出さずにいられなかった。カタツムリと籐吉の密談が何度も脳裏をよぎり、『大好きなおじいちゃん』にほの暗い不安の影を差した。
 それから数日後、89回目の誕生日を祝った日の晩、籐吉は家を飛び出し失踪した。一張羅の背広と便所サンダルが一足なくなっていた。一日、二日と籐吉は家に戻らず、捜索願まで出したが一向に見つからないまま一週間が過ぎた。
「もう……だめかもな……」
「あれくらいの年になると、捻挫とかでも死んでしまうっていうけど」
 両親がそんな会話をしているのを聞いて、雄治は苛立ちを覚えながらもどこか納得していた。無事であってほしいと願う一方、胸の奥の片隅できっとそうなのだろうという確信があった。雄治は溜め息をつき、窓の外に目をやった。庭の茂みが夕風に揺れ、かさかさと小さな音を立てた。いや、違う。風にしては不規則に茂みが揺れていた。アジサイの陰から、便所サンダルが覗いていた。しなびた足首がそれに続き、幽かに動いていた。
おじいちゃん? 
そう思ったら、雄治は駆け出していた。庭に裸足のまま飛び出して、茂みの中を覗き込んだ。
そこに、藤吉はいた。右腕全体を大きなカタツムリに飲まれながら恍惚とした表情を浮かべ、土の上に転がっていた。
「おじいちゃん!」
雄治の叫びに反応したのか分からないが、籐吉は表情を崩ささず、涎を垂らして呟いた。
「山を登っていく……でも登るのではなく、いずれ山にならなくては……空にならなくては……私はお空にいきたいのぉおッ!」
「おじいちゃぁあん! !」
 雄治は籐吉の体をゆすった。しかしそれは腕を飲み込んでいるカタツムリの中に効率よく籐吉を送り込むに過ぎなかった。籐吉はなお、幸せそうな顔をしていた。
「……天国を見つけたんだぁ……」
 それが籐吉の最後の言葉だった。2メートルはあろうかというカタツムリに頭を、全身を飲み込まれたからだ。籐吉の体はカタツムリの半透明な皮膚の中で動き回り、カタツムリの頭の辺りを膨らませると、激しく身をよじって、狂ったようにうねらせていた。
 突然、辺りが暗くなった。大きな羽音が聞こえ、籐吉入りカタツムリは巨大な鳥の足に掴まれ、空の彼方へと消えていった。一瞬の出来事に雄治は立ち尽くしていた。けれどしばらくして、自分の祖父を見送ったと実感し、安堵した。雄治は知っていた。籐吉が何になったのか。
 レウコクロメディウム。カタツムリに寄生するこの生き物は宿主の姿を変形させ芋虫に似せる。それは宿主ごと鳥に食べられ遠くへ行くためであり、天へと向かう手段でもある。籐吉は天国へ行ったのだ。鳥に運ばれて。

(おしまい)

☆著作権は朱時卍時に帰属します☆
posted by 朱時卍時 at 12:44| Comment(0) | ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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