2010年07月10日

「つり革」

「吊り革恋歌模様」
                                         朱時卍時

  シゲルは茫然としていた。どうしたらいいのか分からなかった。なんて言えば、どういう言葉を掛けてやればいいのか、彼の今までの人生にその問いに対する答えの部分は含まれていなかった。ただ、ぼんやりとした答えらしきものを彼は示し、彼女の首を絞めた。
 その日、シゲルは告白された。いつも聞いている懺悔ではない告白。シゲルへの愛の告白だった。夕闇が差し掛かり、北風の予兆たる秋の夜風が教会の開かれた扉から流れ込んだ。
 少女はシゲルの潜む懺悔室の中で何かに突き動かされるがごとく、歌うように、あるいは半狂乱の戯言のように「愛している」と呟いては微笑み、溜め息をつき、少し間を置いてから再び「愛している」と繰り返し語った。
 足下を抜ける風が止み、教会の扉が閉まったのをシゲルは知った。少女と自分、そして二人の神父しか、もはやこの建物にはいないことを知った。
 やがて少女はシゲルの潜む側へと入り込んできた。神父しか本来入ることを許されない、告白を聞く側の小部屋。二人の人間が入るには、少しばかり狭かった。神父が少女と愛を語らうようには設計されていなかった。少女の体温と吐息に自らの胸元に光るロザリオが曇るのを見て、シゲルは少女の肩を抱き、教会の裏庭へと場所を変えた。
 ステンドグラスから洩れる室内の光に照らされて、シゲルは少女の胸元に妙なものが垂れ下がっているのに気が付いた。薄暗い懺悔室では気付かなかったのだ。
 つり革。電車などで揺れる時につかまる、つり革そのものが少女の首から生えていた。ビニールの太い紐に三角形の持ち手。それらが少女の喉元から、まるで植物のようにうねり、シゲルの方へ鎌首をもたげていた。
「愛して……引いて……愛して……」
 少女の転がる鈴の声に、シゲルはもう、その持ち手を引かずにはいられなかった。
「うくうぅううッ……!」
 喉元が絞まり、少女が苦しそうな声をあげる。
 シゲルはそれに呼応するかのように一層、つり革を引く力を強めた。
 少女の目が一瞬、糸のごとく細くなったかと思うと、彼女は口角を吊り上げ、シゲルのロザリオを強く引っ張った。それと同時に首が何者かによって締め付けられる感覚をシゲルは覚え、昼間に食べたミックスピザが胃から込みあがってくるのを感じた。
 互いに首を絞めあい、引き合い、気がつけば彼らは回転運動を始めていた。
 お互いに右手でつり革を、ロザリオを引いていたから、結果として回転を始めることとなったのだろうか。首を絞めあう二人の回転は勢いを増し、やがて遠心力で互いの体は伸びきり、ちょうどプロペラのようになって、生み出した風圧で宙に浮いた。
 二人でできたプロペラは高度3000メートルを越え、通常の風船なら破裂する高さになっても上昇することを止めなかった。やっと上昇することを止めたのは3万メートルを越えたあたり。宇宙から見た地球と言われる姿が見える高度に達した時だった。
 その時にはもう、シゲルが首から下げているものはロザリオではなくなくなっていた。シゲルの首から生えていたのは少女と同じ、つり革だった。
宇宙と地球の狭間で、彼らはゆっくりと回転していた。
「私たちはつり革になるのよ」
 少女の言葉にシゲルは頷き、ああ、自分はこれからつり革になるのだと思った。
 そうして、幾年もの間、彼らは回転しながら自らの姿をつり革へと変えていった。徐々に、部分ごとに。だが首から下全てがつり革になった時、、シゲルは少女にときめかなくなっていた。
 何故、こいつを掴んでいなければいけないんだ。
 二人してつり革になる必要があるのか?
 そう思った瞬間、シゲルの体は少女から離れ、地上へと落下していた。
 ビニール紐と化した体が大気圏に入り、環境に悪そうな臭いがシゲルの鼻を突いた。
 体が千切れ、首だけが自由落下に任せて地球へと落ちていった。
海に落ちるのか、陸地に落ちるのか、確率としては海のほうが高いはずだ。そんなことも落ちている間に考えたが、最終的に、シゲルにとってそんなことはどうでもよかった。どちらにせよ自分がやがて誰かに掴まれることになる気苦労に較べたら、落下して朽ち果てる方がずっとマシに思えたからだった。

(おしまい)

☆著作権は朱時卍時に帰属します。無断の複製、転載を禁じます☆
posted by 朱時卍時 at 16:28| Comment(0) | ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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