2010年08月07日

「死人」

「死人」
                              朱時卍時 

 夏の暑い日のことだった。炎の刃が牙を剥き、地に、あるいはそり立つビル郡に突き刺さっていた。風もなく、あったとしても、たかがしれている程、大気は蒸していた。
 そんな日の真昼に私は池袋の路地裏でギターを弾いていた。そして夏に丁度いいんじゃないかと考案した新ジャンル、パンクでも、メタルでも、デスメタルでもない「クラシック・ホラー」なるものを歌っていた。般若心経をベースにしている曲調が不気味すぎるのか、誰も集まって来なかったが、未来のシンガーソングライターを目指して懸命に声を張り上げた。
「――アートマンが〜やって来る〜ブラフマンと超合体ぃい〜ッ!」
 どさっ。まさに歌い終わった時、目の前に何かが落ちた。
 白いワンピースを着た女が地面に横たわっていた。
 私はギターを地面に放り、駆け寄った。外傷は特に見当たらず、ただ鼻血を流して寝ているだけのように見えた。救急車を呼ぼうと携帯を手にしたとき、私は思わずその手を止めた。
 ついさっきどこからか降ってきたばかりの女が立ち上がり、おぼつかない足取りで私の方へやって来たのだ。額に出来た青あざと鼻血を除けばかなりの美人だった。
「あのぉ、人は呼ばないでください。一人が好きなので……そんなことより、もう一回さっきの曲が聴きたいです……なんだか、気分が落ち着きます、すごく」
 うつろな表情でそう言うと、女は降ってきた場所へ戻り、正座して私の方を向いた。
 正直、気持ち悪いと思った。けど、その日初めて私の歌を「聴きたい」と言ってくれた人だったから、私はギターを拾い上げ、その人のために歌った。
 歌い終わるたび、女は鼻血をすすりながら、派手に拍手をして喜んだ。
 結局、その日私の歌をまともに聴いてくれたのは彼女だけだった。夜になって帰り支度を始め、ギターをケースにしまおうとすると彼女は子犬のような表情を浮かべて私を見つめた。
「……人も来ないのに、なんで、歌えるの?」
 ケースの留め金を掛けながら私はチラリとそちらを見た。
「理由とかないよ、なんとなく歌いたい気分だったんだ」
「そんなぁ、不安じゃないんですか? 理由も無く、歌って……」
 私よりたぶん年上であろう女は何故か私を崇めるように見上げ、そう訊ねた。
正直、時々不安に思うことはあった。でも、何のためかなんて気にしないようにしてた。
「まぁ、ほら、突然終わっちゃう人生かもだし、好きなことしたいじゃん?」
「死んじゃったら、何も出来ないですものね……」
 私はギターケースを担いで首を横に振った。
「死んだこと無いから分かんないけど、死んだら死んだでしたいことするよ、私は。三途の川で釣りとかやってみたいし」
 女は眼に涙を溜めていた。こんな、テキトーな言葉を聞いて泣きそうになっていた。そして同時にありえないくらい鼻血を大量に流していた。
「アタシ、死に切れてませんでした。一日一日、死に切ることが大切だったんですね!」
 女は何かに目覚めたように勢いよく走り出すと何度もビルの壁に激突していった。白かったワンピースがみるみる汚れ、血に濡れた。
「アタシ、もう何年も、毎日、ビルの屋上から飛び降りているんです。だけどずっと死ねなかった。でもなんだか今夜は逝けそうです。ありがとうございます!」
 彼女はそういうと今度は地面に落ちていたタバコを何本も飲み込んだ。
 止める間も無かった。彼女は苦しみ、悶え、転倒し、転がっていたレンガに頭を激しくぶつけ、やがてピクリともしなくなった。今回は明らかに死んでいた。月明かりに照らされて、頭の中身がヌラリと光っては見え隠れしていた。
 私は恐ろしくなってその場を後にした。その日を最後に、もうその裏路地では歌わなくなった。だけど時たま、その横を通る。そんな時は決まって、何か重いものが落ちたような音が幾度となく、何度も聞こえた。けど、道行く他の歩行者には聞こえていない様子だった。
 私に霊感はない。ただ、都市にあの人みたいな人間が溢れているから、彼女が落ちる音が皆には聴こえないんだ。
 ふと、そんな気がした。

                          (おしまい)


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posted by 朱時卍時 at 12:32| Comment(0) | ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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