2010年09月10日

「女装と差別」with Akita Takanori

「女装と差別」 朱時卍時 with Akita Takanori

 身近な差別について私が考えたとき、真っ先に浮かんだのは女装、トランスジェンダーに関する差別性についてだった。それは、自身が女装するということもさることながら、この女装における差別性を考えた際、他の一般的な差別に比べて特殊な形態をしていたからだった。
 一口に女装といっても様々な女装が存在する。ただ女装しているという様相からは想像し得ないほどの奥深さや、人間の浅はかさが入り交じった世界がそこにはあるのだ。姿から簡単に女装の種類を説明すると次のようになる。

○下着女装:男性が女性用下着を着用している状態。

○着ただけ女装:男性がただ女性用の着衣を纏った状態。メイクをしていない状態を指す。一般にこの状態で女性として見られる女装者はまれである。

○完全女装:フルメイクかつ、女性用着衣を纏った状態。この手の女装では女性と見間違えるほど完成度の高い人もいる。一般的に女装とはこの状態をさす。

 他に歌舞伎や暗黒舞踏、バレエなど舞踊における女装、ニューハーフなどがあるが、主な女装の種類としてはこの三種類である。
 これらの女装をする人々の動機をそれぞれ分類すると以下のようになる。

○下着女装:フェティッシュ[下着]、女性用下着の露出愛好、

○着ただけ女装:フェティッシュ[服]、[特定のキャラクターや人物との]同化願望の実現、

○完全女装:フェティッシュ[服」、同化願望の実現、自己女性化愛好症、GID[性同一性障害]、自称GID

 さらにこれらの人々の主な性的な傾向を分類すると以下のようになる。

○下着女装:ノーマル、マゾ、ゲイ[女装者の愛好]

○着ただけ女装:ノーマル、マゾ、ゲイ[女装者の愛好]、同化による自己の恋愛対象化

○完全女装:ノーマル、マゾ、サド、カマレズ[女装者を恋愛対象とする]、バイ、[女装しているがゆえの]ゲイ、[GIDとして]ノーマル、[GIDとして]バイ、[GIDとして]レズ、[GIDを語った]ホモ、[GIDを語った]自己女性化愛好症[自己愛]


 大まかな分類としてはこんな感じである。ぱっと見た印象からも分かるように、一般に女装と呼ばれる完全女装は非常に多くの種類の趣味嗜好の人間が集まっていることが分かる。女装と差別を考えた際、これらのことは最低限知っておかねばならないと考えたので冒頭から無粋ではあるが紹介した次第である。
 さて、女装における差別は約二種類ある。女装を嫌悪する人間からの差別と、女装者内で起こる差別である。前者においては近年ではメディアで女装、ニューハーフを大きく取り上げたこともあって表面上は緩和されている。ただし、そこで注意して欲しいのは緩和されたように見えるこの状況が、場合によっては決定的な差別感情によってもたらされている可能性があるからである。例えば、一般に女装を男性に勧めたり、女装に対して理解があるとされる女性にもその可能性が内在している。社会の構造からしてそれは必然であるし、私としてもその差別性を批判する気はさらさらないのだが、一応言及しておくと、つまりはこんな具合だ。
 男女平等の社会といってもまだまだ女性の立場は弱い、男性>女性だ。しかし、そこに女装した男やニューハーフが入ってきたらどうだろうか。男性>女性>女装者、ニューハーフ、こうなるのではないだろうか。
 女装者やニューハーフは肉体的には普通の男性でありながら女性の格好をしている。それだからいいという人間は多いし、私などもそんな程度で十分と思ってしまうが、中には少しでも女性に近づきたいと体に薬やホルモン剤、メスを入れるものもいる。その場合の彼らの存在は女性という線に近づくが決して到達できない、いわば漸近線。そして、メスを入れた彼ら自身がそれは最も実感していることでもある。だから女性に一生のコンプレックスを負うものもいる。どうかすると女性化自体を人生の目的にしてしまうものもいる。その一方で、社会的に女性として扱ってもらえればいいと、そのコンプレックスを越えて、自身のアイデンティティ確立のもと、人生を普通の人と変わりなく歩んでいこうとするものがいる。これがいわゆるGID[性同一性障害]であり、前者はナルシズムの延長上にある自己女性化愛好症である。
 だがいずれにせよいえること、それは女性からしたら彼らはただの模造品、「女性もどき」でしかないということだ。どんなに女性に近づき、そこいらの女性より圧倒的に美しかったとしても、女性には「女性ではないもの」に対して「女性である」という優位が発生しえるのだ。ちっとも似合ってない女装をした、あるいはさせた男子に彼女らが「かわいい〜」と発言したり、飲み屋にいるニューハーフなどに「キレイー」と言うのは、多くがこのような優位に起因したものではなかろうか。少なくとも、私の知り合いのニューハーフや、女装者から話を聞く限りでは、彼らは女性からの発言にそのような印象を強く受けているらしい。
 一般に女装に寛容とされる女性でさえ、このようなことが起こり得るのである。男性は言わずもがな。きれいな女装やニューハーフに、ただ、女でないと分かっただけで「気持ち悪い」と発言するような男性はまだ世の中には多い。「気持ち悪い」くらい女装に無理解な男性が多いのである。
 この外的な差別について考察すると、よく言われるのは「わりと最近」起こった差別ということだ。それ以前では女装は普通のものだった。古くはヤマトタケルの女装から、歌舞伎、陰間茶屋まで、日本では女装者はどこの町にいてもそれほど妙なものではなかった。変わったのは「明治」からだ。明治政府は性風俗が乱れるとし、女装者を片っ端から逮捕。牢屋に放り込んで、女装を社会的にタブーなものとして演出した。時代が移行し、昭和になってからもはじめ、女装はいけないこととして社会認知されていた。明治政府によって植え付けられた女装への嫌悪感が昭和の中頃までは大分残っていたらしい。戦後になってから新宿ゴールデン街にできた「ジュネ」[現在は意志を継いだ経営者が同じ場所に「ジャン・ジュネ」という店を開いている]などを筆頭に、アングラとしてのポジションではあったが女装コミュニティは拡大を見せ、現代のサブカルチャーというポジションにまで至った。
 だがここには女装における外的差別の触媒的な働きも見て取れる。なぜならば、アングラとされていた時代から現代に至るまで、女装を[明治期につくられた]モラルへの背徳感から行うものが多数存在するのだ。あるいは女性以下の存在に自ら降りていくことによって、女性から虐げられ、快楽をえるものがいる。要は「差別されるから女装する」というものもいるのだ。この場合の差別はいわば「快楽的差別」とも言えるSM要素を多分に含んだものである。この種の差別のあり方は他の差別にも時折見られるが、こと女装の世界ではこの形も多く見受けられるため、あえて取り上げた。
 次に内的な差別についてだが、これには女装者の大多数における、女装ヒエラルキー観が関係している。
 
 ニューハーフ>完全女装>着ただけ女装>下着女装
 
 この中でさらに完全女装内はこのように分類される。
 
 男性が好きな女装者>カマレズの女装者>趣味女[趣味で女装している女装者]
 
 つまり、内的なヒエラルキー観においては女性に近いものほど上位の存在として君臨し、女性から遠いものほど嫌悪されるのである。同じ「女性もどき」の中ではあるが、上位になればなるほど、その女性らしさの追求にはある種の意地が生まれているともいえる。自らの「女性らしくなる」努力に及ばぬものを軽蔑するのだから外的な差別に比べて合理的にも思われるかもしれないが、女装する皆が皆、別に女性になりたいわけではない。皆が皆、女性に憧れているわけでもない。それを考えた際、この女装界のヒエラルキーの上位に属するもの達ほど強く抱いている意地は、下位の女装者にとって押しつけがましい価値基準である。女装はしていても女性を愛するようじゃダメ、女装していると本人は言っているけど「着ただけ」だからダメとあっちゃあ、女装が広く認知され始めた世にあって狭っ苦しくていけない。このような妙なプレッシャーや侮蔑という差別によって、新宿二丁目、六本木をはじめとした大御所の女装クラブに秋葉原を中心とした趣味女が遊びに行きにくい環境が出来てしまっているのは、女装以外の差別においてもよく起こっていることであり、これから女装界の差別が激しくならないことを祈るばかりである。
 このように、女装における差別は外的なもの、触媒的なもの、内的なものとあるわけだが、実はこれと一線を画すものにGIDに関する差別も存在する。もっとも、GIDの方々の中には差別体験を幼少期の時に受けたり、これから受けるであろう社会的差別[就職しにくい、あるいは結婚しにくいなど]への覚悟を持った上で性別変更を考えているなど、精神的にタフな方も多いので、女装界の中でもそれほど差別として表面には出ないが、タフな方がいる一方で、もちろん精神薄弱なGIDの方もいる。これは正確には差別というよりも「セクハラ」に分類されるべきものではあるが、こういった方々がよく直面するのが、例えば「ニューハーフは男根があるからいい」という、女装者を恋愛対象とする男性や女性の、GIDへの誤った理解や、理解力不足による「悪気のない刃」である。GIDで戸籍変更を望むのであれば法律上、性転換手術は必須項目であるのに、それを理解しない人々による、ニューハーフの「両性具有性」を賛美し、その観念をGIDの方々に押しつけるという「無意識の差別」が実際にはあったりする。この場合、ニューハーフ>性別変更したGID、という形式となるのだが、ここで問題なのはここの形自体ではなく、性別変更をまだしていないGIDの方々が出会う、ニューハーフ、女装好きの男性というのが、たいていこのような考えをしているということだ。もちろんGIDのことを理解した上でつき合おうとしてくれる男性も世の中には沢山いるはずだが、GIDの方々が戸籍変更途中で寄ってくる男性はニューハーフだから、女装だからという理由で寄ってくるものが残念ながら多いのだ。このことは椿彩菜がメディアで大きくデビューした際、GIDであり、戸籍変更も済んでいる[少なくとも法律上は]女性が「あえて」ニューハーフと称して「売られて」いたことからも明白である。「GIDで性転換した現、女性」というよりは「ニューハーフ」の方が世間の食いつきがいいからである。このように、GIDにはニューハーフとして扱ってほしくないのに、扱われてしまうということがあり、この状況が結果的にGIDの方々にとって「鉄の処女」、「気づかれにくい差別」となってしまうこともあるのだ。
 最後に、女装と差別についてこれまでつらつら述べてきたが、いっておかねばならないことがある。GID、ニューハーフ含め、女装者は多くの場合、世の中から、あるいはその中で自分達が差別されることは「覚悟」して女装しているものがほとんどである。世の中が自分達を軽蔑していたとしても、100対1の戦いで、自分が1であっても女装する。差別したければすればいい。そんなものは屁とも思わない。それくらいの意気込みでやっているものが多いのだ。ただ、タフなものが多いとはいえ、もちろん柔な女装者もいるし、時々、魔が差して自己嫌悪に陥ることもあるので、そんなときはなるべく優しい言葉をかけてもらえたら……それが、いち女装者の切なる願いである。

 また、参考として、「ファッション化するGID」の方も読んでいただけたら幸いです。



※著作権は朱時卍時に帰属します。無断での転載、コピーを禁じます。





最後に、、、おまけ

「覚悟はいいか? 俺は出来てる(……女装する『覚悟』が!)」 
皆、こんな感じで女装しましょうね☆

ゴメン、ブチャラティ!
posted by 朱時卍時 at 01:21| Comment(0) | 性倒錯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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