2015年03月31日

ガーデニング考

最近豆苗を育てるのが趣味だ。

食べなかった豆苗の根部分を、水を張ったタッパーへ放り込み、陽に当てておく。するとニョキニョキと芽や葉が再生し、また豆苗を食べることができるのだ。

植物は枯れるものだ、と思う程度にはその手の世話をするのが苦手だ。サボテンを枯らしたこともある。だが幸い、豆苗を台所脇で育てていることもあり、食器洗いのついでに水を張り替えたりなんだりと、私にしては世話が続いている。

植物というのは面白い。
こちらが一筆も原稿を進めていなくとも、お構いなしに育っていく。
グングン伸びる。
どうかすると取り残されたような気分にすらなる。

実に逞しい。日々、歩みを怠らないのだ。
(まぁ、私に食されるための一歩だが)

ガーデニングというのがある。
私はあれに中年女性とかがハマってるイメージをなんとなく持っている。

エプロン姿のおばさんが枝切りバサミを振り回し、植民地支配かと言わんばかりの勢いで、他の植物を駆逐し、趣味の悪い色の薔薇やチューリップを植えたりするイメージだ。

豆苗育てたくらいで、なにもガーデニングを本格的に語ろうとは思わない。

ただ、時々その魅力は彼女らにとってなんなのか、と考えてしまう。

自然界にもガーデニングをする生き物がいる。葉を巣へ持ち帰り、それを苗床に仕立て、キノコを生やし、食する蟻などだ。
もっとも厳密には、それはガーデニングというよりは農業、もっといえば本能だし、生きるための一環であり、本質は異なるが。

ガーデニングをしないからといって死ぬガーデニングマニアやガーデニングが本能として刻み込まれているおばさんは…たぶんいない。ガーデニング オア ダイ? 名作ライトノベルの二番煎じみたいな言葉が思い浮かぶがそれはないだろう。

趣味だ。おそらくは達成感とある種の不気味さを手軽に得るための。

私は豆苗を育てただけで、世話のかかる植物を育てたことはないから、手軽、なんて言葉を使うと怒る方もいるかもしれない。

だが、私にいわせれば、良く知らないからこそいうが、植物なんていうのは人が手をかけなくとも、条件がある程度整っていれば、勝手に育って、勝手に実をつけ、勝手に繁殖するもんだ。

勝手に育つもんを育てて、育てたような気になって、達成感を勝手に味わっているんじゃないか?

そして、不気味さ。
掛けた手間ひま以上に勝手に育つ得体の知れなさ、それは母の胎内で育つ胎児に似てはいまいか。庭という子宮の中で、勝手に増殖する様を手伝うことで、無意識に妊娠の不気味さを再体験したがっているのではないだろうか…

それが母性のようにも思える…

勝手に相手の生命を助け、自己満足な達成感を得る。放っておいても育つが、雑草を抜いてやる。その前提には生命力への畏怖と、その庭を持ち、庭と関わった事から生じる愛着があるんだろう。きっとそういう一連の流れこそがガーデニングの魅力なのだ。

私には子を産めない。
だから今はせいぜい豆苗を我が子と思い、育ててみることとしよう。名前とかつけて。そうだな、豆だからジャックとかそういうのが良いかな……まぁ、食べるけどね!

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よかったら、ふぉろーみー♪
posted by 朱時卍時 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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