2010年07月03日

「子狐ペレン」

「子狐変」
朱時卍時 

 事実は小説より奇なり。そんな言葉があったけれど、一体何故こんなことになってしまったのだろう。蟻の這う洞窟の壁を見て、大石雄大はいまさらながらそう思った。
 澄み渡る空、地面から立ち昇る森の香。夏にしては肌寒い、北海道の夕凪が雄大の頬を掠めた。地を照らす夕日の色味に眼をやれば、丁度、宿泊している大学のセミナーハウスが見えた。暑苦しい掛け声がそちらの方から幽かに聞こえてくる。時計を見て雄大は、ああ今頃、奴らが筋トレに励んでいる頃だ、ごくろうさん、そう心中で呟いた。
 そろそろ顔でも出して激励してやろうか。それとも、アメフトなんてやってたって将来何の役にも立たないって、社会的なアドバイスでもしてやろうか。
 そんなことを考えながら、彼はセミナーハウスの方へゆっくりした歩みで進め始めた。
 ふと、物音がした。道路わきの茂みの中で何かが動いていた。夕日を艶やかな毛並みに映し、耳をたて、こちらの様子を窺っていた。キタキツネだった。
 北海道では珍しくないキタキツネだが、雄大にとっては久しぶりに見る生き物だった。若かりし大学生時代、今聞こえてくるような掛け声を叫び、筋トレをし、フィールドを疾走した。そんな練習風景の一部に溶け込んでいたキタキツネ。本州で印刷会社に勤めるまではよく見かけていたキタキツネだった。まだ子供のそのキツネはぬいぐるみのように愛らしかった。
 その外見からは意外というほかないが、雄大の胸はときめいていた。そして、アメフトの練習をしている時には果たせなかった夢を実現させるには今しかない、そう感じていた。
 あの肉球を一度でいいからプニプニっと突っついてみたい……。
 けれどそれは禁じられた遊び。背徳の行為。キタキツネの足には寄生虫がいて、触れるだけで虫がうつってしまうのだから。
 でも、触ってすぐに手を洗えばひょっとして……。
 悩むより早く雄大の足は子狐に向かっていた。
 一メートル、二メートル、三メートル……あと五歩で子狐にたどり着く。
 一歩、二歩……三歩目を踏み出したとき、子狐は後ずさりをした。反射的に雄大は逃がすまいと飛び掛った。が、子狐とはいえ野生動物。雄大の手の間をすり抜けると、彼の視界から一瞬にして消えてしまった。
 
 え? あーッ!
 
 彼は気付いた。自分が過ちを犯したことに。子狐はほんの少し動いただけだったのだ。身をかわす最小限の動きをしただけだった。それが消えるように見えたのは自分の体が落下しているためだった。茂みの裏手は急斜面で、その淵で子狐は顔を出していたに過ぎなかった。
 宙を舞いながら、雄大はそのことを後悔した。だが、その時間は極めて短かった。気付いたときには雄大の背中を、傾いた腐葉土の地面が受け止め、下方へと弾き飛ばした。
 雄大は転げ落ちていった。木々に体は打ち付けられ、突き出した岩肌に肉体が削り取られていった。やがて体は狭い洞窟の中へ滑り込み、その中にすっぽりとはまってしまった。
 体の周りには十センチ程度の空間があるだけだった。いたるところを骨折していて、力を込めようとすると激痛が走り、雄大の意識を危うくさせた。こうなってはアメフトで鍛えた体も無力で、ただ痛みに震える肉塊にすぎないと、雄大は己の無力さに絶望した。
 どれくらいの時が過ぎたろうか、夕陽は紫へ、灰紫へ、濃紺へと様変わりして、わずかに見える木々の隙間から月光が差していた。痛みもさることながら雄大は空腹に苦しんでいた。あまりに腹が空きすぎて目の前を通った蟻を舌で捕まえて食べてみたが、酷い味だった。蟻酸が入っているためか、ひどく苦い。
 蟻を吐き出していると、突然、目の前に影が差した。見れば子狐が魚を咥えたまま、雄大の顔を覗き込んでいるではないか。子狐は少しだけ魚をかじると、雄大の口元へと放り投げた。
 雄大は貪るように魚に噛り付いた。少し腐敗していたのか、生臭い香が口いっぱいに広がったが、蟻よりはマシだった。彼はキタキツネが寄生虫を持っていることなんて忘れ、一心不乱に食べた。鱗を噛み砕き、眼球を精一杯啜った。
 洞窟にはまってから数ヶ月が過ぎた。治癒した骨は変形して固まって、洞窟から抜けなかった。それでもここまで生きてこられたのは子狐が毎日、食べ物を運んでくれたからだ。雄大は感謝していた。けれど時々体内に、何かが宿った「胎動」を感じていた。
 そのわりに、彼は幸せな気分だった。愛らしい狐の体内で育ったものと同じものが、この無力な自分の体内を這っている。肉の塊である自分の中を這ってくれている。大好きなキタキツネさんと「おそろい」になれたのだから……。
 こんな気分になっているのが寄生虫のためなのか、それとも自分の生まれ持ったマゾヒスティックな性癖が子狐をもってして開花したためなのか、いまや脳にまで寄生虫の廻った雄大には分からなかった。
 ただ、幸福感だけが、彼の意識を支配していたのだった。
 いつまでも。

(おしまい)
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2010年06月26日

「機械油少女」

「機械油少女」
朱時 卍時 

2024年、5月6日、晴れ。
灰色の床の上に鉄格子の影が差している、だから……晴れ。
今日もアタシは稼働開始時間の6時54分に起こされた。本当は7時に稼動すればいいのに、管理人のヤツ、朝食を適当に済ませているから6分も早くアタシに仕事をさせるに違いない。アタシのことなど考えちゃいないのだ。6分早くやってくるがために、アタシはいつも満足にエサを食べる時間が無いのに……。
「さっさと準備をしろぉ! アブラ虫ぃ!」
 エサが目の前から取り上げられ、代わりに初老の男の顔面が現れる。
「お国のためなんだからさぁ、今日も頑張ってねぇ」
 男、フジタの息がアタシの前髪を揺らした。甘ったるい饐えた匂い。今日もこいつの朝食は目玉焼きだったに違いない。ごつく、べたついた腕がアタシの口に吸入器を装着し、手かせ足かせを装着した。足下で作業を終え、去りゆく際、あいつの白髪で尖った短髪が私の頬を何箇所か刺した。ダニに喰われたほうが幾分かましだった。
 仕事が始まった。アタシは牢の壁にある穴に向かって自分のお尻を突き出した。センサーがその動きを感知して男性器型の蛇をその穴からアタシの肛門へと送り出す。蛇は何のためらう様子も無くアタシの中に入ると、いつもより激しく動いた。おそらくここのところ、ろくに食事を取っていないのだろう。それに彼のエサ、寄生虫がまだアタシの中で育っていないのだろう。だからエサを求めて彼は激しくうねっているのだ。
「あうううううぅッ」
 アタシの口から奇妙な鳴き声とヨダレが漏れ出て、吸入器のチューブの中に消えていった。
 アタシはもう、相川優香ではないのだと知った。ただの中学生だった相川優香ではないのだ。本当に自分がそんな名前だったのかさえ、今ではもう確信が持てない。アタシの隣の牢屋にもアタシ。その隣にもアタシ。沢山のアタシ。無数のアタシ。大量生産されたアタシ達の声が合唱となって、コンクリートの牢獄に響き渡っている。
 アタシがここに連れてこられたのは半年前、多分そうだ。一日毎に親指の爪に刻んだ傷の数が191条あるのだから。あれから外の世界は変わっただろうか。新エネルギーとされたアタシのダエキ「U香油」を使って、世界は美しくなったのだろうか。アタシには分からない。
 ただ、フジタの息の匂いが変わったら、世界が変わったということなのだと思うから、そんな気がするから、アタシは声を上げ、仕事に精を出すことにした。

                             「おしまい」


☆こんな人生って、マゾにはいいかもね☆

☆著作権は朱時卍時に帰属します☆
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2010年06月12日

「ファン」

「ファン」
朱時卍時 

 古びた感じの見世物小屋があった。21世紀になったといっても相変わらず、こういう商売は無くならないようで少し安心した。出先でのことだったから、それがどこにあったとか、そういうのは憶えていない。それにああいうのは移動するものだから、仮に僕が憶えていて、ここに書き記したとしても、その場に行って見る事は出来ないだろう。
 でも、演目は憶えている。看板に書かれていたのは電球呑み男、小人レスリング、蛇おんな、おおいたち、そういった定番のものだったはずだ。それと最後に「ファンになろう」と小さく書かれているのを見て笑ったのを憶えている。何というか、全体的にチープな感じが、逆に妙な安心感を抱かせていた。とはいえ、ろくでもないものだというのは目に見えているが……。
 こうなったら中に入らざるを得なかった。無性に見たくなった。
 気がつけば僕は、小屋の入り口に立っていた。夏の暑い盛り、白昼の熱線に焼かれながら。
 汗ばんだピエロメイクの小男に入場料を支払うと、彼は溶けたおしろいを地面にポタポタ零しながら僕を小屋の中へと案内した。
 懐かしい世界だった。
 一度幼い時分に、父親にねだって中に入った見世物小屋とそう変わらなかった。あえて言うなら吊るされている照明が裸電球からLEDに変わっているくらいのもので、基本的に何にもかも昔と同じに見えた。それこそ、時を遡ったような気分だった。
 演目はあっという間に流れ、最後の演目の前に私はいた。
「さささ、お立会い、お立会いぃいッ! 続いてご覧にいれまするは『影のない人々による行進』にございまさぁッ、ようく見てくだんさい!」
 座長がお立ち台の上でそう言って合図すると、とんでもない人々が行進をして現れた。
 夏目漱石、坂口安吾、芥川龍之介、オスカー・ワイルド、ジャン・ジュネ……小説家になりたいと思っている僕が尊敬してやまない、憧れそのものの人々がそこに列をなしていた。
 しかも、そっくりなどではなく、彼らは「本物」であるような実感があった。
 そして気がつくとそれまで一緒にいた、他の観客達が姿を消していた。だが、そんなことはすぐに気にならなくなった。なぜなら列から外れたジャン・ジュネがこちらの方へやって来 
て握手を求めたからだ。
「君も行進するかい? でもきっと君はしないだろう、そして、私はして欲しくない……」
 握手をすると彼はそう僕の耳元で囁き、去っていった。
 行進はどこからともなくやって来て、どこへともなく消えていった。
 そして、かわりに視界から消えていた他の観客たちの姿が眼に映りこんだ。
 異様だった。
 年も性別もバラバラな観客達は、うわ言を呟きながら列をなし、行進していた。それを横で見ているのは僕と、可愛らしい少年だけだった。
「ミキちゃぁん……」
「……パクさまぁあ」
「ニーチェどのぉお……」
 皆口々に、何かに憑かれたように行進していた。
「彼らは皆、ファンなのです」
 座長が横に現れてそう言った。
「多くの人はアイドルの、宗教家の、作家の、あるいはもろもろのファンになります。彼らとその対象は表裏一体。どちらが欠けても成り立たないのでさぁ。私は彼らを『幸せ』にして 
あげたんですよ。全く、彼らが望む通りにね……」
 観客の姿はやがて空気と混じりあい、ほの暗い影のようなものになって消えていった。一体どこへ行ってしまったのか座長に聞こうと思ったが、聞かずとも分かるような気がした。
 私は座長に一礼し、隣にいた少年を連れて小屋の外に出た。陽が沈み、受付にいたピエロの汗も止まっていた。西陽の中、私と少年はそれぞれの来た道を戻った。別れを言い、少年の方を振り返ったとき、少年の影がちょっぴりだが濃くなっているような、そんな気がした。彼をテレビで見るのは少し後の話だ。

(おしまい)

☆著作権は朱時卍時に帰属します☆
posted by 朱時卍時 at 11:15| Comment(0) | ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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